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卯の花

文部省唱歌に「夏は来ぬ」があります。今でも多くの人から親しまれ、歌われています。「卯の花の匂う垣根に ほととぎす早も来鳴きて 忍び寝もらす 夏は来ぬ」 1番はこのように歌われます。

今は卯の花の季節です。白いつつましやかな花です。卯の花は夏の到来を告げる花として、歌われています。この花はウツギの花です。この辺でウツギというと、これから咲き出すピンクの花を鵜鵜ます。これは正確に言うとタニウツギだそうです。

豆腐のおからも「卯の花」と呼びます。これは「お空」を連想するので、白い色から「卯の花」と呼ぶようになったと言われています。

新潟では、春から夏への移行は大変早く感じます。雪が解けて桜が咲いて、ゴールデンウイークが終わると、もう夏の気配がただよいます。

2番の歌詞には「早苗植え渡す 夏は来ぬ」とありますから、昔は今頃が田植えだったようです。私の生まれた信州は田植えが遅く、6月半ばだったように記憶しています。

日本には季節を歌う歌が沢山あります。春、夏、秋、冬とはっきりした季節のある地に住んでいる私たちは恵まれています。

この歌を作曲した小山作之助は上越市大潟区の出身です。小山作之助は東京音楽学校(現東京藝術大学)で教え、明治、大正時代、日本の音楽教育の中心的な担い手でした。大潟区では毎年7月、「卯の花音楽祭」が行われます。

「すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」使徒14:17

偉大な力

土屋正実という人を覚えておられるでしょうか。オウム真理教の一連の事件で死刑の判決を受けた受刑者です。

土屋正実は筑波大で化学を学び、修士課程を修了し、博士課程に進んでいました。その時点で、家族は正実をオウムから救出しようと、ある宗教団体の協力を得て、実行に移します。しかし、その中途で失敗し、彼はオウムに逃げ帰ります。親子の決定的な断絶を迎えてしまいます。

オウムが使った猛毒のサリンやVXガスの製造の中心になったのは土屋正実でした。彼は実験から、製造に至る過程のすべての責任者でした。

彼は裁判の冒頭で、裁判長の「職業は?」という問いに対して、「浅原彰晃の直弟子です。」と答え、あとは、引き続く何回もの裁判の中で、ずっと黙秘を通しました。他の幹部の被告は次から次とマインドコントロールが解けていきましたが、彼だけはかたくなでした。

ある裁判の中で、息子をサリンで失った母親が切々と悲しみを訴え、真実を話してほしいと土屋被告に懇願しました。それでも心を開かなかった土屋正実が、心を開いて、堰を切ったように話し始めたのは、この女性の次のことばからでした。「私は息子を失って悲しいけど、あなたのお母さんのことを思うと、私よりもっと悲しんでいると思います。」

彼はここからマインドコントロールが解けていきました。彼は今、静かに死刑判決を受け入れています。浅原に対しては詐病をやめて、真実を語るようにと訴えています。母親が注いてきた愛情が偉大な力を現したのです。

現在、オウム真理教家族の会(被害家族)と被害対策弁護団は、浅原死刑囚以外の実行犯らの死刑会議を願う声明を発表しています。浅原によるマインドコントロールについて、裁判の中で十分に審議されていない等の理由によります。

「『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。」エペソ6:2

オオイヌフグリ

オオイヌフグリの花をご存知でしょうか。今も道端や土手に咲いています。見過ごしにされそうな小さな花ですが、青い澄んだ色は心を癒します。イヌフグリとも呼びます。

ちなみにふぐりとは陰嚢を意味します。実をつけたときの形が似ているのでイヌフグリという奇妙な名前がつけられました。

脳性麻痺のため、47年を寝たきりで生きた水野源三さんは、お母さんの50音文字表の指摘にまばたきで答え、沢山の美しい詩を残しました。


「春」

私が臥している
六畳のこの部屋にも
神様の恵みの春がある
弟がとってきた蕗のとう
姪達のつんで来たイヌフグリ
義妹の生けたあんずの花

「包む」

雪がとけた窓ぎわの
イヌフグリの花を春の光が優しく包む
枯れ木のような私のからだを
キリストの愛が キリストの愛が
温かく包む

花と実

1週間前は桜の花が満開でした。先週の木曜日の暴風で、桜は一気に散りさってしまいました。

高田公園の桜は「ソメイヨシノ」です。ソメイヨシノは葉が出る前に枝からつぼみが出、葉っぱをまったく見せないで、花が咲き、木全体を花で囲みます。桜ははかないとも言われますが、満開になると、大変豪華です。まさに花を見せる木です。

しかし、ソメイヨシノのさくらんぼを食べる人はまずいません。食べられないわけではありませんが、小粒で、苦く渋い実です。熟れた実が地面に落ちると、かえって迷惑がられます。

同じ桜でも、実がおいしいさくらんぼの花は、葉っぱが出て、黄緑色になってから、葉っぱの陰に、白い控えめな花を咲かせます。しかし、その後に、たっぷりと果肉のついたおいしい実をつけます。

今咲き誇っている水仙やチューリップは実が期待できません。これから咲くいちごやりんごの花はあまり目立ちません。神様はそれぞれに役目をあたえておられるように思われます。

では花の咲かない野の草はどうなのでしょう。よく見るとどの葉もデザインされています。そして何よりも、緑の葉は酸素を大氣に供給しています。特に人が眠っている夜に。

SMAPが歌っている「世界で一つだけの花」という歌をご存知だと思います。人間も一人一人違っていて、それぞれに大切なのです。

「わたしの眼には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」イザヤ43:4

新潟聖書学園バザー

新潟聖書学園バザー
2012年4月30日(月・振替休)午前10時~午後2時
新潟聖書学園 体育館&キャンプ場

日本のキリスト教界において、神学校を運営していくことは大変なことです。特に財政的基盤をどう築くかに、大きな困難が伴います。新潟聖書学院(柏崎聖書学院)はそもそもドルを持ってきている宣教団体(JEM)の財政と宣教団の人材を基板にして始まりました。やがて円が自由相場になると、宣教団の財政は今まで通りの運用が難しくなりました。

そのような背景の中で、1977年創立30周年を記念して、柏崎聖書学院後援会が発足しました。日本の教会が聖書学院の財政的支援の中心になろうという趣旨でした。およそ1年間の準備期間がありましたが、その流れの中で、私が後援会の会長にさせられて?しまいました。

各教会に聖書学院のための献金を呼びかけました。さらに何かできないかと考えたのがバザーでした。そのころ、Japan Sea View School という宣教師の子どもさんたちの学校が同じキャンパス内にありました。そこでは毎年スワップショップという、親たちの持ち寄り品のバザーをやっていました。それにヒントを得て、聖書学院でもやってみようということになったのです。

その後、学園バザーは、すっかり県内の同盟、伝福の教会に定着した感があります。数えてみると今年で35回目になります。今も聖書学園の財政は特別な祈りを必要としています。バザーに祝福を!今年も祈ります。

「また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」使徒20:35

教会学校教師

小千谷教会は最初に来たときから、神様が導いてくださった教会であると思っていました。皆さんと、だいぶ親しくなった頃のことです。礼拝が終わってから、「日曜学校の教師が足りません。どなたか日曜学校の奉仕をしてくれませんか。」という案内がありました。今の教会学校は当時、福音派の教会では、ほとんど日曜学校と言っていました。

私は、この教会でも何か奉仕をしたほうが良いと思っていました。日曜学校の奉仕は今までもしてきました。これに応じることにしました。

仕事が終わってから、ある夜、日曜学校の校長先生宅を訪ねました。日曜学校の奉仕をさせてくださいと頼みましたら、玄関先で断られてしまいました。理由も告げられません。私はあぜんとしてしまいました。帰ろうにも、すぐにはバスも電車もありません。信濃川の岸に出て涙を流しました。

何日かしてから、校長先生のほうから、やってくださいという依頼がありました。私は若すぎると思われたのでしょうか。あるいは他教団の所属であったからでしょうか。あの時は悲しかったですが、心の傷となって・・・ということはありませんでした。

小千谷キリスト教会の子供たち(30名くらい集っていた)とよく歌った歌を紹介します。

わたしは小さい灯 光りましょう わたしは小さい灯 光りましょう
 光れ 光れ 光れ
小千谷(日本)の全地に 光りましょう 小千谷(日本)の全地に 光りましょう
 光れ 光れ 光れ


「いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」ピリピ2:16

早天礼拝

私の職場と住居が北魚沼郡川口町(現長岡市)という時代がありました。まだ、高校を卒業したばかりのころでした。後に、その場所は、中越地震の震源地の近くになるのですが、山や川に囲まれた自然豊かなところでした。

夏は川で泳いでいて、渦に巻き込まれ溺れそうになり、舟で引き上げてもらったことがありました。冬は2月になると陽が延びて、仕事が終わってから裏山でスキーができました。

教会は小千谷キリスト教会(現小千谷福音キリスト教会)へ通いました。一人暮らしで何も束縛がなかったので、勤務が許される限り教会へ通いました。日曜日は教会学校から夕拝まで。火曜日の教師会、木曜日の祈祷会、更に宣教師の英会話教室でしたが、そんなに負担感はありませんでした。

毎年のイースターは船岡公園の早天礼拝から始まりました。朝6時だったような気がします。そのときばかりは電車もバスもありませんので、自転車で行きました。当時国道17号線は舗装がしてありません。砂利道を8キロメートル自転車をこいで出席しました。

小千谷のイースターはまだ肌寒い時期ですが、イースターの朝の賛美の特別なさわやかさ、その後の、宣教師宅での朝食はひとり暮らしをしていた私には、特別な恵みでした。

そんな思いがあったので、牧師として高田聖書教会に来てから、イースター早天礼拝を始めました。今年で何年になるでしょうか。いずれにせよ、「主はよみがえった!」と賛美できる私たちは幸いです。

「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。」マタイ28:6

チワーッス

冬の間、ランニングを休んでいました。先週、2ヶ月半ぶりに再開しました。まだ、風は冷たいですが、青空の下で走ることは爽快です。

まだ走り始めですので、調子は出ません。2日目、筋肉痛をこらえて走っていました。春休み中なので、学生やこどもたちに出会います。子どもの声で「チワーッス」と聞こえてきました。

道路の向かい側で、男の子たちがたむろしています。私に呼びかけているとは思いませんでした。もう一度「チワーッス」が聞こえました。私は振り返って、大声で「オーッス」を返しました。

「チワーッス」は勿論「こんにちわっす」の省略です。私の「オーッス」はよくわかりませんが、男同志の挨拶ことばです。こんな年寄りに、声をかけてくれる子どもたちがいたのかと思うと、うれしくなりました。

イエス様も復活の日、沈みこんでいた弟子たちに「シャローム」と挨拶の声をかけられました。

「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。(シャローム)」ヨハネ20:19

襦袢

私の母は、家で和服の仕立てをしていました。80歳まで、呉服屋さんから来る注文の着物を縫っていました。大晦日は大変でした。年取りの料理をつくり、食事が終わってから、翌日の元旦に着る着物の仕上げで、夜中まで針仕事というのが、慣例でした。

家内は、着物を着ませんが、着物の生地で作ったランチョンマットを幾組か持っています。あるとき、そのランチョンマットをテーブルに敷いて、お客様と夕食をしました。その席上、お客様が、「これ、長襦袢ですね。」と言われました。襦袢(じゅばん)という言葉は母が使っていましたので、「下着」を意味することは良く知っていました。どうしよう。大変失礼なことをしてしまった。もうこれからは、このランチョンマットは使えないと思いました。

それにしても、綺麗な生地でできています。灰色がかった薄青の地に、ピンクと紫のなでしこの花をあしらった、とても気のきいた模様が描かれています。

襦袢のことを色々調べてみました。すると、襦袢には2種類あります。肌襦袢というのはまさに肌に着る下着です。長襦袢というのは着物と肌襦袢の間に着るものであることがわかりました。

それならばいいか。リフォームして、食卓に並べても失礼にならないのではないか。着物は世界に誇る日本の代表的文化です。それなのに、自分が日本の文化にいかに疎いかを改めて思わされました。

今度、わが家の食卓で、このランチョンマットに出会いましたら、悪しからずご了承ください。

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」
Ⅰコリント10:31

春雨

ちょっぴり春めいてきました。昨日は一日中雨、大地はまだ雪に覆われていますが、春雨の到来といったところでしょうか。わが家はちょっとした春雨騒動でした。

夕方、家内から買い物を頼まれました。買い物リストの中に「コロッケ10個」というのがありました。スーパーへ行くと、コロッケはもう売り切れ、並んでいません。どうしたらいいか、家内にケイタイをしようとしたら、電池切れでした。まあいっか、コロッケに代わるもので・・・結局「春巻き」を買いました。

家に帰って、「コロッケがなかったので「はるさめ」を買ってきたよ。」と言うと、家内は不審な顔をします。「はるさめをどうやっておかずにするの。」「はるさめじゃだめなの。」としばらくやりとりがあった後、私は、もう面倒くさい、「他のスーパーへ行ってコロッケを買ってくるわ。」と玄関へ出ました。

すると家内が後ろから「お父さん、行かないで。これでいいんだよ。」と言うではありませんか。買い物袋を見ると、「はるまき」が入っています。私が「はるまき」を「はるさめ」と言ったものですから、家内を混乱させてしまったわけです。

少し暖かくなった春の陽気が、私の頭の中へも侵入してきたようです。

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」エペソ4:32
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