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選ばれた

先週、U-13のキャンプが行われました。52名のキャンパーのうち、2名が熱を出して、途中で帰りましたが、無事に楽しいキャンプが終了しました。

今回のキャンプのテーマは「神の中に」がテーマでした。丸山園子先生はモーセの生涯を通して、神様の選びということに触れてくださいました。川に流された赤ちゃんモーセは不思議な導きで、エジプトの王女様にひろわれました。けれどもモーセはエジプトの王になるのではなく、イスラエル民族を救うために、先頭に立ってエジプトと戦う人となります。まさに、モーセは神様に選ばれた人であることを聖書は語ります。

モーセの場合は特別な選びです。しかし、すべての人は神様の選びによって存在していることを聖書は教えています。

エペソ1:4では
「私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び」
と教え、また詩篇139:13では
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」
と歌われます。

最初、私はこれらのみことばは、こどもたちにはむずかしいと思いました。しかし、キャビンタイムで学んでいるうちに、子どもたちはこれらのみことばを受けとめていることに気づきました。

メディアの大きな流れに押し流され、その中にみんなで一緒にいることに、自分を感じている多くの子どもたちは、やがて、ひとりで立ち止まる時が訪れます。そのとき、自分が何であるかがわからなくなります。多くの若者の問題は自分自身の喪失であると言われています。

私は神に選ばれて生まれ、今生きている。子どもの時から、このように信じて生きられたら、なんと素晴らしいことでしょうか。人生が開かれていきます。
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オリンピック

ロンドンオリンピックが始まりました。オリンピックは平和の祭典です。開会式ではまず「平和の鐘」が鳴らされました。一連の式典の中で、自転車に乗った鳩が無数、ライトに照らされて、空に飛んでいきました。

聖書にはノアの洪水が記されています。洪水が収まって、舟の中から飛ばされた鳩がオリーブの若葉をくわえて戻ってきました。そのことにちなんで、鳩は平和のしるしとなりました。ちなみにマラソン競技の勝利者には、オリーブの葉で編んだ冠が与えられます。

オリンピックは平和の祭典とはいえ、競技は闘いです。すべて競技は、力と技を競い合うのです。必ず、勝者と敗者が出ます。それがなぜ平和の祭典かというと、必ずルールがあって、互いにそれを守ります。また、相手のいのちと人格を尊重します。だから、そこには友情も芽生え、平和の花が咲きます。

日本サッカーは女子も男子もすばらしいスタートを切りました。これから楽しみな競技が沢山ありますが、日本の勝ち負けだけでなく、世界規模の友情が沢山生まれ出ることを期待します。

来週、8月5日には、「平和を求める集い」があります。私たちも上越の片隅から、平和を祈り求めましょう。

「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。」エペソ6:14,15

「いじめ」について

大津市の中学生自殺事件を受けて、いじめについての論議が各地で沸騰しています。

いじめ撲滅ネットワーク」(どのような団体であるかはわかりません)では、「いじめについての正しい認識の徹底」を第一に挙げ、文部科学省のいじめについての見解を紹介しています。ちなみに文科省の見解とは以下のようなものです。

「弱いものをいじめることは人間として絶対に許されない。どのような社会にあっても、いじめは許されない。いじめる側が悪いという明快な一事を毅然とした態度で行き渡らせる。いじめは子どもの成長にとって必要な場合もあるという考えは認められない。また、いじめをはやし立てたり、傍観したりする行為もいじめる行為と同様に許されない。」

木走正水氏は自らのブログの中で次のように主張します。

「『いじめを撲滅する』とか『いじめ件数を5年間で半減させる』とか数値目標を掲げてこの国の教育行政が安直な『成果主義』を導入した結果が今日の学校・教育委員会の隠蔽体質をまねいた。」

「『いじめをなくす』という非現実的な目標をまず放棄すべきである。教育現場だけに特別な理想論を唱えても仕方ありません。」などと主張し、企業が行っている危機管理の考え方の導入を唱えます。

私は木走氏の考え方に近いです。いじめの教育は大切です。その上で、いじめは決してなくならないと想定し、隠れたいじめの発見に最大の努力を払うべきだと思います。

大阪府教育委員会はいじめを受けている生徒に対して、学校教育法に基づく「出席停止」制度の適用を勧めることを表明しました。制度の適用などという前に、親は危険な学校へは子どもを休ませなければならないと思います。

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。」詩篇139:23

慕いまつる主なるイエスよ (Precious Lord)

アメリカ南部のゴスペル(賛美)の世界で、"Precious Lord" と言うと誰でも知っている定番の賛美です。私はまだ、この曲を練習していなかったのですが、先月のライフラインの集いでこの曲が中越の賛美のプログラムに入っていました。やむなく、自主練習?をして臨みました。

最初は気がつかなかったのですが、この曲はちゃんと新聖歌の中にある曲でした。新聖歌191番「慕いまつる主なるイエスよ」でした。原曲と今のゴスペルのバージョンがあまりに飛躍しているので、すぐには気がつかなかったのです。

私たちの賛美歌、聖歌を歌うときの姿勢は、どこか「慎み」のようなものがあります。しかし、ゴスペルの表現はそれとはずいぶん違います。思い切り気持ちを神様の前に持ち出します。しかし、歌われている言葉への思いはまったく同じであります。

この賛美は Precious Lord / Take my hand / Lead me on, Let me stand と歌われていきます。新聖歌の日本語訳はほぼ原詩にそっています。

1. 慕いまつる主なるイエスよ 捕われ給えわれを
道に迷い疲れ果てし 弱きしもべわれを

2. 風はつのり夜は迫る されど光見えず
御手を伸べて助け給え 恵み深きイエスよ

この賛美の作詞者トーマス・ドーシーはゴスペルの父と呼ばれている人です。彼が奥さんと子どもをほぼ同時に失い、打ちのめされていたときの賛美といわれています。この賛美は白人の教会にも入り、今日まで歌い継がれています。

「主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。」詩篇6:2

教会の結婚式

6月に、松本に住んでいるクリスチャンの男性から、電話をいただきました。高田聖書教会で、結婚式を挙げさせていただきたい、という内容の電話でした。見ず知らずの人です。

この方の出身が上越市で、家族が上越市に住んでいる、上越市の教会で結婚式をしたいということでした。松本市の牧師の紹介で、高田聖書教会に問合せが来たのでした。

式の日取りは7月21日(土)と、もう決められていました。教会や私の予定を見ると、この日はできそうなので、一応OKの返事をしました。しかし、心配なのでは、式場としての教会です。「この教会で本当によいのか、一応見てから、決めてほしい、だめなら、他の教会を紹介するから。」と含みを持たせておきました。

昨日、お二人が来られました。最初、高田聖書教会を外から見て、ちょっと懸念があったようです。しかし、中に入って会堂を見たら、「きれいです。何の問題もありません。」と言ってくださいました。

色々と打ち合わせの話をしていくうちに、素敵な二人であることがわかってきました。ということで、7月21日(土)午後3時より挙式ということになりました。

古くなってきた今の教会堂ですが、この教会で結婚式を挙げたいという方にお会いし、大変うれしく思いました。

「『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となる。』この奥義は偉大です。」エペソ5:31,32

石巻人間模様

石巻へのボランティア活動は昨年の10月に引き続き、2回目の参加でした。今回は短期間の滞在でしたが、新たに色々な思いをいだいて帰って来ました。

震災から1年3ヶ月、出会った方々は当日のことを、明確に語ってくれました。

かきの養殖を手伝いに行って、仕事を教えてくれた青年のドラマ。
地震は自宅で迎えました。そのあと、会社に行かなければならないと思い、港から車で市内に向かいました。その時点で津波のことはほとんど考えていなかったそうです。北上川にかかる大橋の真上で、津波に出会いました。橋が高かったため、助かりました。もし橋の手前でも、超えていてもだめだったのです。

サマリタンのボランティアで改修された家のご主人の悲劇。
津波を予想し、まずおばあちゃんをここなら大丈夫というおばあちゃんの実家へ避難させました。続いて、奥さんを迎えに戻り、二人は町の山手の高いほうへ逃げました。津波は港のある女川町の中心部のほとんどを呑み込みました。まさかと思っていたおばあちゃんの避難先も呑み込まれ、あとから逃げたご夫婦は助かりました。

この地域に住んでいる人たちは何を言わなくても、みんなそれぞれの重いドラマをいや現実を背負って生きているのだ、と思わなければなりません。

教会の働きは物質的な支援から、精神的な支援、伝道へと移行しています。今まで、キリスト教の働きは現地で、高く評価されてきたように感じました。そこから、更に地域への真の光として、魂の本当の救いのために、働きを続けていけるかが、問われています。皆さんが寄せてくださった渡波教会の会堂土地購入の献金、20,125円をお渡ししてきました。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行ってくださるのです。」ピリピ1:13

沢 知恵さん

富山市のランチョンの誘いをいただきました。今年は新潟のランチョンに行けなかったので、先週参加してきました。ランチョンは沢知恵(さわ ともえ)さんのコンサートでした。沢さんの名前は知っていましたが、実際にお会いするのは初めてでした。音楽とトークを通して伝わってきたのは、大変パワフルで、親しみやすいキャラクターでした。

沢さんは毎年、瀬戸内にある大島青松園というハンセン病療養所で、コンサートを行っています。このお話が衝撃的でした。

沢さんのお父さんは牧師で、戦後いち早く日韓の架け橋になることを願って、韓国の神学校に留学されました。その学生の頃、日本の当時のらい療養所を訪れ、伝道と入所者のケアーの働きをされました。その後も、度々青松園を訪れ、患者さんとの交流を深めておられます。

結婚して赤ちゃんが生まれ、その赤ちゃんを見せに、青松園を訪れます。周りのすべてに猛反対されたそうです。隔離されていた患者さんたちは生涯、赤ちゃんを見る機会は失われていました。歓声をあげたり、戸惑う患者さんの前で、「抱っこしてあげて」と赤ちゃんを差し出したそうです。その赤ちゃんが知恵さんだったのです。

私の小学生の頃、「小島の春」という映画を見ました。当時らいと呼ばれていた患者さんが家族、社会から隔離されて、生涯帰って来るくることができない療養所へ、連れて行かれる物語です。子どもながら、真っ暗などん底に突き落とされた思いをしました。

そんな頃、沢さんのお父さんは自ら、患者さんに近づいて行かれたことを思うと、どんなにか立派な方かと思います。お父さんは49歳で、がんで召されて行きました。最後はお父さんの希望で、寅さんの映画を家族で楽しんだそうです。

沢さんはコンサートの中で、お父さんをしのんで寅さんの歌を歌ってくれました。例のせりふ「手前、発しますところ・・・」を入れて。

「イエスは手を伸ばして、彼にさわり『わたしの心だ。きよくなれ』と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。」マタイ8:3

アウェイ (away)

サッカーワールドカップアジア最終予選が始まりました。日本代表チームは1戦、2戦と順調に進み、先週はアウェイでオーストラリア代表チームと対戦しました。結果は1対1のドローでしたが、色々なコメントがメディアで報じられました。

予選リーグは対戦相手と、それぞれホーム、アウェイと2回戦います。サッカーのアウェイでの戦いがいかに過酷なものであるか、今回ほど思い知らされたことはありませんでした。

審判の吹く笛に首をかしげるケースが何度もありました。競技場のピッチもアウェイそのものでした。走ってボールのパス回しを得意とする日本チームには、不利なコンディションになっていました。

にもかかわらず、試合が終わっての監督、選手たちのコメントを聞いて、感心しました。言いたいことはいっぱいあるにもかかわらず、恨みがましいことはいっさい言いませんでした。アウェイで試合をするということがどういうことかを、知り尽くしている人たちの言葉でした。

サッカーでなくとも、家庭で、仕事場で、あるいは学校で、まるでアウェイの中にいるような、つらい思いをしている人が沢山いると思います。アウェイのつらさは、ただ耐えるしかないのです。神様は必ず乗り越える力を備えてくださいます。

「牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやりなさい。また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。」ヘブル13:3

「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。」Ⅰペテロ2:19

インターネット上でfacebookという仲間つくりのネット網があります。最近私のボードに、ある方から「友達リクエスト」が入りました。どなたか、はっきりと思い当たりません。写真から見て、「多分あの人か」という程度でした。

「承認」をクリックすると、さっそくメールが入ってきました。「塚田先生、お久しぶりです・・・」と始まっていきます。やはり、私が想像していた方でした。もう20年以上も前のことです。東京から聖ヶ丘バイブルキャンプに何回か来られた方でした。私のことなんか覚えていないだろうと思っていたのですが、とても親しげにメールをくださいました。

これがきっかけで、その後もう一人の方から「友達リクエスト」が来ました。それはびっくりする方からでしたメディアで大きく取り上げられ、今、その働きが全国で注目されている牧師です。ネットを通して、思いがけない絆ができました。

良い絆ができることは、楽しいことです。しかし、すべての絆がいいとは限りません。多すぎる絆は削らなければならないでしょう。時にネットはとんでもない悪い絆も飛び込んできます。

「私」を失わないで、健全な絆を築いていくためには、まず、私と神様の絆をしっかりと保っていくことだと思います。

「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」詩篇16:8

田舎育ち

私の生まれ育ったところは、長野県の中野市というところです。善光寺平の最北端、りんご、桃、ブドウなどの果物と、野菜の産地です。新潟も長野もそうですが、中野は豊かな自然に囲まれた町です。私はまさにこの自然の中で育ちました。

道ばたや野良や山で、食べられるものを探しました。いたずいこ、シバメ、つつじの花。特に、桑の実の熟れたのは最高のおいしさでした。夏は川でどじょうやフナを取ったり、山へ行って、くわがたをつかまえたり、秋にはくり、くるみ、あけびを取りに行きました。

雪が降ると、町のスキー場(リフトも何もない)へスキーをかついでよく通いました。たまに、丸池スキー場(志賀高原)へ行くときなど、前の晩は、わくわくしてなかなか寝つかれませんでした。

そのころ、神様が造られた自然という意識はありませんでしたが、自然の豊かな恵みの中で、育ったことは確かなことです。後に本当に神様を信じるようになって、改めて、自然を見ることができました。

神様は自然界の創造主であるという理解は、正しい神様の理解の大切な入り口です。自然を知れば知るほど、私たちの神様は、どんなに偉大で、人知をはるかに超えたお方であることがわかります。

今でも、一人で山に入ってもさびしいとは思いません。かえってやさしい思いに包まれたようなやすらぎを覚えます。田舎者でよかったと思っています。

「天は神への栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。」詩篇19:1,2
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